紙と歴史のよもやま話-最終回「幾つかの思い出」

 それから思い出すのは公害問題です。今から五十年程前の事ですが製紙工場から出る排水の問題が静岡県の「田子の浦ヘドロ事件」と呼ばれる大公害問題になったのです。未処理の排水が田子の浦湾に垂れ流され海は汚れ悪臭が漂いヘドロで魚は住めなくなり、空気も汚く全く酷い有様でした。日本全体が公害に対して鈍感だった時代です。この頃から製紙業は公害企業というイメージが出来てしまい未だに払拭されていません。
 今日の製紙工場の排水処理設備は充分なものがあり、煙突から出る煙(ほとんどが水蒸気)に臭いは無く相当な対策を施しています。生産上の公害対策ばかりでなく製品そのものに対しても環境が意識されています。
 紙一トンに対し材木十トンが必要と言われ森林を破壊しているかのような話も多かったように思いますが、原料の大半は植林木と廃材(主に住宅建設の)、それに古紙です。今では製紙産業は環境対策の優等生と言ってもいいでしょう。

 

古紙の偽装、バブル……激変する世の中

 思い出すついでにあまり良くない出来事が浮かんで来ました。古紙の配合率を偽装した事件です。販売しながらも「こんなに古紙(特に上白)があるわけない」と思っていました。配合率から見て品質が良すぎました。古紙の入った紙を使えば全て善という風潮、古紙配合率は多いほど良いという誤解、古紙百%品を使用する事の強制、古紙の入っていないものへの忌避感情などが背景にあったのだろうと思います。ご存知の通り日本は古紙回収率と古紙利用率は世界のトップレベルです。植林にも熱心です。ゴミゼロ運動にも力を入れています。
 年号が平成になる少し前、世の中はバブル景気で沸き返っていました。贅沢品が飛ぶように売れ絶好調でした。石油パニックの時代のような紙の買占めがあったわけではありません。ただ土地の買い占めは異常でした。土地転がしや株で儲けた人が多く出ました。忙しくて人手が足りません。アルバイトを採用するのも大変で、就職してくれたら車を進呈すると言い出す企業まで現れました。あの頃は確かに忙しく昨日印刷したものが今日は刷り直しという事がしばしばありました。皆が儲かっているから気にしない気にしない。製本途中なのにもう再版が決まったりして、世の中全て思うように行く気分でした。
 そう言えば「○○PANしゃぶしゃぶ」なるものがあって官僚の接待に使われる事件がありました。あの頃の日本はどうかしていたのです。金儲けと贅沢に味を占めてしまいました。
 しかしバブルが弾け世の中は激変します。土地、株、会員権等の値段が暴落しました。借金は高金利のまま高止まり。人手不足は人余りに。これを乗り切るのに相当の時間がかかりました。「こんな事ならあの頃もう少しいい思いをしておけばよかったなあ」と今は思います。

 

紙の歴史の中に答えが

 厳しい時代に突入してから長い時間が経ちましたが、本当に厳しくなったのは最近の事です。戦後減ったことが無い紙の消費量が明らかに減り始めました。
 紙の需要は減ってはいますが当分の間は必要不可欠なものとして使い続けられるでしょう。ではどのくらい減るかは想像もつきません。半分くらいになるのでしょうか。四十年くらい前が今の半分です。人口も四十年後には三分の二くらいになると予想されていますから、半分になっても不思議ではありません。実際問題そんな先の事は考えられませんが、今からどう対処するか行動に移さないといけない時代です。紙の歴史の中に答えがあるかもしれません。
 面白いと思った事だけを書きましたのであまり役に立つ事は無かったかと思いますが、最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。