紙と歴史のよもやま話-10「グーテンベルクの四十二行聖書」

 話をヨーロッパに転じます。紙は古布、古着等から作られていましたが、需要が増えるにつれて原料の不足が深刻な問題となりました。遂には墓を掘って埋葬された死者の服をはぎ取った不届き者まで現れました。エジプトのミイラまで利用したそうです。   
 古着の回収は現代の古紙回収と同じです。現代と同じように新しいファッションの流行があれば古着が多く発生します。回収を考えると大都市は紙の生産に都合の良いことが分かります。当然水は必要ですから川の側が良い訳でそのうち水の力を動力として利用するようになります。また船による輸送が発達すると都市から離れていても製紙工場は稼働可能となりましたので、郊外に大規模工場も作られるようになりました。
 さて集めた服は白く漂白する必要がありますが、女性の好きな赤色だけは白くできませんでした。勢い倉庫に溜まってしまいもう限界と言う時、赤いまま吸取紙を作ってみました。これが好評で大いに売れ、それ以後吸取紙は赤い(ピンク)ものとのイメージが定着しました。吸取紙が作られる前は吸取砂が使われていました。砂を紙面の上に振り掛けて吸収させるのです。砂の掃除を必要としないので吸取紙は誠に便利な製品だったのです。

 

グーテンベルク
グーテンベルク

活版印刷術の発明

 さて紙の歴史に関連した重大発明を忘れるわけにはまいりません。ご存知の活版印刷術の発明です。1450年頃、ドイツのマインツでグーテンベルクが一文字ずつ活字を作り、これを組み合わせて印刷する技法を開発しました。組み合わされた活字は印刷終了後バラバラに戻され繰り返し使う事が出来ます。この発明は五百年の長きにわたりほとんど変わることなく使い続けられた完璧な発明だったと言えます。例えば活字の成分は鉛とアンチモンと錫ですが今でも当時とほとんど同じ配合で作られていますし、その鋳造法も然りです。インクもグーテンベルクが開発しました。誰もやった事が無いから当然と言えば当然ですが。多色刷りにも挑戦しています。
 彼が最初に手掛けたのは聖書の印刷です。四十二行聖書と呼ばれ百八十冊ほど作られました。二割くらいがパーチメント(羊皮紙)に、残りは紙に印刷されました。この時、紙とパーチメントは共存していたわけですがパーチメントの方が高級品というイメージがありました。紙はイタリア産が大半でした。当時の紙には製紙業者のサイン=透かしが入っているので誰が作った紙かが分るのです。

 

破産してしまったグーテンベルク

 グーテンベルクはフストと言う人に資金援助を受け聖書の印刷を進めました。しかしなかなか順調には行きません。数年の月日が経ち痺れを切らしたフストは「金を返せ!」と要求しました。もうすぐ完成と言う時に。グーテンベルクはビックリします。「あれは出資金(=資本金)では無かったのか」と反論します。そして裁判となりグーテンベルクは敗訴。工場を失いました。聖書はフストの手で完成に漕ぎ着け完売。完成前に予約で一杯になっていたようです。実はフストは自分の娘と工場長のシェーファーが好い仲になっていたので二人を結婚させ、グーテンベルクがいなくても聖書は完成出来るようにしていました。そのため裁判で認められたにもかかわらず、グーテンベルクを追い出し金儲けをした大悪人のイメージがついてしまいました。しかしフストはシェーファーの幼い頃から面倒を見ていた育ての親だったことを申し添えておきます。
 印刷工場はその後も数々の印刷物を作りますが、戦火に会い消失してしまいます。教会の司教同士の争いでした。そして工場の職人たちはあちこちに広がり印刷所を作りました。こうして印刷術はヨーロッパ全体へ広がったのです。聖書の印刷は実に画期的な出来事です。印刷術は世界の文明、文化を大きく発展させました。その貢献度絶大です。